私の永遠の陛下

 魔王ルルーシュが死んだ世界は、新たな道を進んだ。ゼロという伝説が、平和への実現に繋がっていった。
 世界は、創られていく。ルルーシュが願ったその未来へと。

「……まさか、本当にお前がオレンジ畑をやるとは思っていなかった」
「陛下に頂いた忠誠の名前ですので!」
 呆れるように告げられた声に、貴族服を脱ぎ、新しく農作業スタイルになったジェレミアが胸を張って答える。
 太陽の光が降り注ぐ中、とても健康的に見えるその姿に、小さな笑い声が零された。
「オレンジくん、か……懐かしいな。お前のその服装もとっくに見慣れたよ。そういえば、いい加減その陛下呼びはやめてほしいんだが」
「も、申し訳ありません、ルルーシュ様!」
 名を呼ばれたルルーシュは、満足そうに微笑む。ジェレミアと同じような服装をしたルルーシュは、取ったばかりのオレンジを手の中で転がした後、ジェレミアに渡した。
「それに、陛下と呼ぶべきはナナリーだ。俺じゃない」
「分かってはいるのですが、やはり私の中で陛下はルルーシュ様なのです……」
 ジェレミアがしょんぼりと告げると、ルルーシュは笑った後、オレンジを新たに掴んで提案する。
「別に、もう様付けもやめてルルーシュと呼べばいいだろう」
「で、でで、出来ません! そのような恐れ多いこと!」
 滅相もない、と慌てて首を左右に振るジェレミアに、ルルーシュはどこか残念そうだった。
「なんだ、つまらない。もっと楽しい男になれよ? オレンジくん」
 わざと挑発するような口調でルルーシュが言うも、ジェレミアにとっては嬉しい響きだった。オレンジと呼ばれても、ルルーシュが名づけてくれたのだから、それを名誉と言わず何と言うのだろう。
 すでに、ルルーシュもジェレミアも人前には出られない。魔王ルルーシュが実際は生きていたなどと知れたら大問題だ。その腹心であったジェレミアも同じだ。皇帝であるナナリーやゼロであるスザクなどの首脳部はルルーシュが生きていると知っているものの、他の人間や国民に知られてはならない。
 ほとんど隠れて生活するようなものだったが、それでもジェレミアは幸せだった。オレンジを育てるのも大分慣れてきたし、これはこれで面白いとすら思っていた。何よりも、ルルーシュが生きている。その事実だけで良かった。
 にこにこと楽しげなジェレミアに、ルルーシュもつられて笑った。だが、ふと顔を上げて小さく呟く。
「ん……、もう時間か」
「どちらへ行かれるのですか?」
 訊ねると、ルルーシュは少し気まずそうにジェレミアから視線を落とす。
「ちょっと、な」
「夕食までには戻ってきてくださいね」
 今日の献立は、と嬉しそうに笑顔を見せて告げるジェレミアに対し、ルルーシュは寂しそうな表情を浮かべた。その顔を見たジェレミアは、もぎ取ったオレンジをかごに入れて、向き直る。
 ざわざわとよく分からない感覚が胸の内を撫でた。何かが怖かった。でも、何が怖いのかが分からない。
「どうかなさいましたか、ルルーシュ様?」
「     」
 一陣の風に声がかき消された。ルルーシュは薄く微笑んで、ジェレミアに背を向ける。
「ルルーシュ様!?」
 慌ててジェレミアは後を追いかけようとした。だが、なぜか足が動かない。その間も、ルルーシュは遠ざかっていく。
 ジェレミアは恐怖した。ルルーシュがいなくなってしまう気がした。
「ルルーシュ様!」
 何度呼んでも、ルルーシュは振り返らない。
「お待ちください、ルルーシュ様!」

 ジェレミアは大声でルルーシュを呼んだ。そしてはっと気づいた。視界に映るのは闇。太陽の降り注ぐ外ではない。暫く呆然とした後、闇に慣れた目が映すのは寝室の天井だった。差し出した手は、ルルーシュを掴むことはない。ただ虚しく空を切った。開かれた手の平を、ジェレミアは握る。何も、掴めない。
 視界が揺れた。ゆらゆらと右目に水が溜まる。堪え切れず、溢れて伝った。目尻から零れ落ちた涙が何度も同じ場所を伝っていく。そのせいで、涙の乾く暇がない。
 夢だ。残酷な夢。ただの願望。ルルーシュが生きていればだなんて、実現されることのない泡沫の幸せな夢。だからこそ、酷い。
 分かっていた。理解もしていた。ルルーシュの最期の願い。自らが死ぬことによって完成されるゼロレクイエム。ルルーシュが死に、個としてのスザクも死ぬ。
 主君の命に従ってこその忠義だと、そう言い聞かせてジェレミアは最後まで演じた。ゼロとなったスザクと同じく、ルルーシュを殺す一因となった。スザクがルルーシュを手にかけたが、ジェレミア自身が手にかけたも同然だった。ルルーシュという存在を守れなかったのだから。
 何度も命に背くことを考えた。だが、出来なかった。誰よりも、何よりも愛おしいルルーシュが望んだものを壊すことが、誰に出来るというのだろう。それでも、思ってしまう。あのままルルーシュの命に背き、その死を回避すれば良かったのでは、と。
 今更悔やんでもどうにもならない。世界の悪意を全て背負ってルルーシュは死んだ。変わらない、無情な事実。ルルーシュは悪だったと告げられる世界で、ジェレミアは真実を知っていた。ルルーシュと親しかった一部の人間だけが知っている。
 ゼロレクイエムに込められたルルーシュの願い、優しさを。
「……ルルーシュ、さま……っ」
 嗚咽まじりでジェレミアが名を呼んでも、返答する声はない。ジェレミアが泣いても、ルルーシュは現れない。細い指先で涙を拭ってくれた主はいない。「ジェレミア」と呼ぶ声は、もうない。二度と。
 ジェレミアはルルーシュを忘れたくなかった。誰もが明日を夢見て、ルルーシュを過去の卑劣な魔王として扱う中でも、本当のルルーシュを忘れたくなかった。
 未練がましくオレンジ畑まで作ってしまったのは、縋るものが欲しかったからだ。主君のいない世界で、主君から貰ったその名に縋る自分を、ルルーシュに愚かだと笑って欲しかった。どれだけ願っても、ルルーシュの笑顔を見ることは叶わない。それがまた、酷く悲しかった。
 ジェレミアは涙を拭って、上半身を起こす。脱力した体を無理やり動かしてベッドから降りた。ふらふらと覚束ない足取りで寝室を出て、外へと向かう。
 外に出れば、月明かりが手塩にかけて育てているオレンジ畑に降り注ぐ光景が視界に広がった。ジェレミアは唇を引き結ぶと、一歩ずつ歩き出す。
 オレンジ畑の奥隅にある場所に、ひっそりと墓があった。これから先絶対に名前の書かれることがない、墓。ジェレミアは毎日綺麗な花をそこに置いた。その小さな墓に、ルルーシュの墓に。
「ルルーシュさま……」
 ジェレミアはがくりと地に膝をついてぽつりと零す。一度止まったはずの涙が、再度溢れ出した。
 傍にいて、守りたかった。最期まで共に生きたかった。ルルーシュが死を選ぶのなら、自らも死にたかった。だが、ルルーシュはそれを望まなかった。

『未来をお前にも見て欲しい』
『死んだ後のことは俺じゃ分からないだろう? だから、お前に見て欲しいんだ』
『死ぬなよ、ジェレミア……生きろ』

 最後まで、我が儘な主君だった。死ぬことすら許してくれない、酷い主。
「……っ、るる、……しゅさま……ぁ」
 ジェレミアは泣いた。声を上げて泣いた。ルルーシュの死後、泣いたのは今日が初めてだった。今まで張り詰めていたものが、たった一度の夢で音を立てて崩れ去る。生きていて、こんなに泣いたことはないというくらいに泣いた。
 それでも、ルルーシュは戻らない。
 どれだけ我が儘で酷くても、そんなルルーシュがジェレミアにとっての全てだった。
 忠誠を捧げる、愛おしい、私の永遠の陛下。
2008/09/29
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