ありがとう

「ありがとう」
「……何が?」
 はがくれでラーメンを食べに綾時と訪れた少年は、いきなりのその発言に視線を上げた。全く意味が分からない。けれど、綾時のことも気にかかるが、目の前には今来たばかりのラーメンが湯気を立てて存在を主張している。これを放置するわけにもいかない。少年は麺に息を吹きかけ、少し冷ました後にそれを口に運ぶ。
 その様子を綾時は嬉しそうに見ながら、自身も箸を割って麺を食べ始めた。
「なんだか、ありがとうって言いたい気分だったんだよ」
「……僕は礼を言われるようなことをした覚えがないんだけど」
「そうだね、君はそう言うと思ったよ」
 少年に笑いかけ、綾時はそう答えた。汁が跳ねないように気をつけながら、二人は暫しの間黙々とラーメンを食べる。
「……いつも、僕は君に感謝してるよ。僕と友達になってくれたこと。僕と今、こうして一緒に居てくれること。……僕は、本当にそれが嬉しいんだ」
 先に口を開いたのは綾時だった。箸を一旦置くと、綾時は食べかけのラーメンを見つめる。ここのラーメンが美味しいと教えてくれたのも少年だった。何度かアイギスに気づかれないように食べにきたこともあるけれど、本当に美味しい。少年が好きだというその味を知ることが出来たのが、何よりも嬉しかった。
「……改めて言われると変な感じだな」
「ごめんね、いきなりこんなこと言って。……でも、なんだか伝えなくちゃいけない気がしたんだ」
 少年は琥珀色のスープを蓮華で飲むと、少し考えた後、綾時へと視線を向ける。
「まあ、それをいうなら僕もお前には感謝しているよ」
「僕に?」
 少年の発言に綾時は目を丸くする。自身が感謝することはあっても、彼が感謝することなど、何一つないと思っていたからだ。
 不思議そうに見つめる綾時に、少年は自身のラーメンを指差した。
「今日のこれ、お前の奢りでよろしく」
 綾時は彼の言葉が一瞬わからなかった。数秒後、ようやく脳にその意味が届く。
「え! 僕ってそういう意味で感謝されるわけ!?」
「駄目なのか?」
「駄目だよ! 酷い……。君が感謝するってことにちょっと期待しちゃったのに」
 少年のその態度に、綾時は本気で落ち込み始めた。がっくりと肩を落とすその姿を見て少年は小さく笑い、俯く綾時の頭を軽く叩いて宥める。
「馬鹿だな、軽い冗談に決まってるだろう」
「……君の冗談は嘘に聞こえないんだよ」
 綾時はちらりと疑うように彼を見た。ちょっと泣きが入っているようだ。
 からかいすぎたかな、と少年は心の中で思った。綾時の反応が面白くて、つい遊んでしまう。
「今のは悪かったよ。あ、でも本当に今日は奢ってもらえると嬉しいんだけど」
「仕方ないなぁ。うん、じゃあ今日は僕の奢りでいいよ」
「助かる。……おい、麺がのびるぞ」
「あ、本当だ!」
 話している間にも、放置されたままの麺はのびていく。綾時は折角のそれを台無しにはしたくないと、急いで口に運んでは咀嚼する。
 もぐもぐと口に頬張って一生懸命食べる綾時に、少年は笑った。そして、小さく呟く。
「……僕だって、本当はお前に色々と感謝してるさ」
「え? 今、何か言った?」
 食べるのに懸命だった綾時は少年のその言葉を聞き逃したようだ。けれど、少年は別に綾時に聞かせたかったわけでもないらしく、曖昧に言葉を濁す。
「……なんでもない。あ、ラーメン追加で」
「はいよーっ!」
 少年のさり気無く最後に混ぜられたその言葉に、勢い良く店員は声をかけて新たな注文を受け付けた。綾時はその少年の行動に驚き、咽せてしまう。
「げほっ……ちょっと待って、追加!?」
「ありがとう」
 綾時に向けた少年の笑みは、いつも以上に嬉しそうだった。
2006/08/27
■なんだか嬉しい台詞で5のお題■ 「02 ありがとう」
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