安らぎを

 イオンの死を理解したくなかった。
 腕の中で消えていくあの感触。今までそこにあったはずの確かな重みは消えて、儚くイオンという存在も消えていった。またいつものように自身の名を呼んでくれるのではないか。そうルークは思ってみるも、死んだ、消えていったイオンが現れるはずも無い。
 イオンを失ってからのルークはずっと塞ぎこみ、何も手につかなかった。見かねた皆は休息という名目で宿へと向かい、ルークは今一人部屋にいる。
 誰とも会いたくなかった。会えば、きっとまたイオンの死を突きつけられる気がするからだ。
 だが、そう思っていたのにも関わらず、部屋の扉がノックされた。何も返事をする気が無くて、ベッドにうつ伏せになったままルークは無視をした。
 反応の無い部屋を開けてもいいものか逡巡しているのだろう。ノックの後から数十秒。立て付けの悪い部屋の扉は、うるさい音を立てて開かれる。
 誰がきたのか、そんなものを知りたいとも思えずルークは顔も上げない。その姿を見て、部屋を訪れた人間は軽く溜め息を吐き、声をかけた。
「……ルーク」
「っ……!」
 ルークはベッドからすぐさま身を起こし、声の主へと視線を向けた。労わるように優しげな響きで名を呼ぶその声が、イオンを思い起こさせたからだ。けれど、それはただ己が望んだ幻想でしかない。
 相手の顔を見れば、そこには少し寂しげに笑うガイの姿があった。
「あ……ごめん……」
「……いいさ」
 イオンであるはずがない。イオンは死んだのだ。そんなことはルーク自身とっくに分かっている。目の前で消えていったあの光景を忘れられるはずがない。
 今でも子どものようにぐずぐずしているのはただの我が儘だ。まだ、イオンのことを考えていたい、思っていたい、過去のことになどしたくない。歩き出してしまったら過去を振り返る暇などなくなるだろう。今こうしている間にも確実に世界は瘴気に侵されていくというのに、歩き出す一歩が踏み出せない。
「……隣、いいか?」
「…………」
 ガイの問いにルークは無言で小さく頷いた。ルークは俯いたままだったが、足音でガイが近づいてきたことを知る。
 ゆっくりとガイはルークがいるベッドへと腰掛けた。だが、俯くルークにガイは声をかけない、いやかけられない。かけるべき言葉が見つからないからだ。
 ガイがルークの傍にいなかったその時に、ルークはイオンに出会っていた。初めて自身と言う存在を、何を求めるでもなく見てくれた外の世界の人間と出会えていた。
 今のルークの心を占めるのは死んでしまったイオンのことだけだ。それも仕方がないことだとガイは思う。だが、ルークには進む道しかない。ここまできてしまったからには、後戻りなどありはしない。
 ガイは何度かルークに声をかけようとするも、言葉にならなかった。触れようと思う自身の手の平を強く握り締めることしか出来ない。
 けれど、じっとしているだけで変わることなど何もない。ガイはもう一度手を握り締めた後、ルークに手を伸ばした。そして、抱きしめた。背に手を回し、頭を抱き寄せる。
 触れ合うその部分からガイの温もりがルークへと伝わっていく。それはイオンの体温をルークに思い出させた。消えていくその時まで、イオンは温かかった。
 人は、温かいのだ。
 抱きしめられていると、ルークの心に優しく何かが流れ込む。それは胸を締め付け、目からはぼろぼろと涙が零れ落ちた。
「……とま……んねぇ」
 ガイが拭ってやるも、拭った先からまた溢れ出す。
 初めて心の底から失いたくないと、そう思えた人間だった。イオンは出会った時から、ずっと変わらずに見てくれていた。なのに、何故。どうして。そんな感情が堰を切って溢れ出す。それはルークの心からの涙だった。
「ガイ……っ。イオンは、おれがもっと早く……っ辿り着いて……れば、死ななくてすんだ……よな……っ」
 しゃくりあげながらルークはその心情を吐露する。一人でいると本当は辛い。イオンの死ばかりを思い出して、ただ己を責める日々だった。進むことも出来ず、かといって戻ることすら出来ない。
「泣いていいんだ、ルーク。泣いていい」
「ガ……イ……っ」
 ガイは、感情が溢れ出し止まらないルークの髪に優しく触れながら、言い聞かせるように何度も告げる。
「今は泣け。涙が涸れるまで泣いちまえ。悲しい時には泣いていいんだ。お前の感情を吐き出していいんだ。お前の中で整理がつくまでずっといてやるから……」
「……うっ……く……ぅ」
 声を押し殺してガイに縋りながらルークは泣き続けた。その涙でガイの服が濡れていく。
 イオンが自らを犠牲にして死んでしまったことは、ルークだけでなくガイにとっても、他の仲間にとってもとても辛く、悲しいものだった。ルークのようにあからさまな態度には出さないものの、心の中では未だイオンを忘れてなどいない。
 抱きしめて、ただ泣き止むのを待つしか出来ない自身に、ガイは歯痒さを感じる。けれど、どこかルークが今腕の中にいることに対して安堵してしまう自分がいることにも気づいていた。そんな己の中の矛盾から目を逸らすように、ガイは腕に力を込めてルークを強く抱きしめる。
「……今のお前の気持ちを、思いを忘れるなよ。引きずるんじゃない、忘れないんだ。お前の心の中で、イオンを忘れるな」
「わ……、忘れるはず……ねぇよ……」
 ガイに縋りつくルークはそう答えたものの、涙は未だ止まらない。ガイはもう一度その髪を優しく撫でた。
「……そうだな。俺も忘れられないよ」
 ただ、この幼い子どもに安らぎの時がくればいい。
 泣き続けるルークの体温を感じながら、いつになるか分からない、来るかも分からない未来を、ガイはそう願った。
2006/01/24
TOP