雪の足跡

「おい、気をつけろよ!」
 白く積もった雪へと一目散に駆け出した背中にガイはそう声をかけた。真っ白な地面に自分の足跡を幾つも残しながら、ルークは後ろのガイへと振り向く。
「大丈夫だって!」
 大きな声で返事をし、途中途中しゃがみこんで雪に触っては、きらきらと眼を輝かせる姿は微笑ましい。ケテルブルクに来るたびに、ルークは嬉しそうに雪に触れる。ファブレの邸にいたときでは見られることのなかった姿だ。
 ゆっくりとルークがつけた足跡を辿っていたガイだが、大きな音が耳に届いた。
「うわっ……!」
「ルーク!」
 その声と音に瞬時に体が反応してしまうのは長年の付き合いのせいか。ガイはすぐさま駆け寄ると、視界には雪に埋もれたルークの姿が入った。白い雪の中で赤い髪がよく映えている。
「……何してんだ」
「見れば分かるだろ!」
 呆れた声でガイが告げれば、ルークはそっぽを向いてしまう。あれほど気をつけろと言ったのに、滑って転ぶルークには予想通りとでも言うのだろうか。
 やれやれと寒さのせいで白くなってしまう溜め息を吐いて、ガイはルークの手を取り引き上げようとする。その手を掴み、おとなしくガイに支えられて立ち上がるように見えたルークだったが、それだけで済むはずがなかった。いたずらを思いついた子供のように、ルークはガイへと嬉しそうに笑いかけた。
「……おいっ!」
 その笑顔の裏に潜む何かに気づいたガイだが、遅い。ルークは逆にガイを自身のほうへと強く引っ張った。気を抜いていたためか、急なことに対応できず、ガイの体は簡単にルークと同じ雪の中へと埋もれてしまう。
 顔面から雪の中へと突っ込む破目になったガイは、その冷たさにすぐさま顔を上げた。隣からは、けたけたと嬉しそうに笑う声が止まらない。
「ガイだっせー!」
「……誰のせいだと思ってるんだ」
 眉根を寄せて言ってみても、ルークは笑い続けるだけだ。
「こんな簡単にひっかかるなんてなー」
 笑いすぎて涙まで出てきたルークはそれを拭いながら言葉を続けた。ガイは諦めに似た溜め息をまた一つ吐いて、ルークの頭を軽くはたく。
「いてっ」
「別に痛くないだろ」
 頭を押さえてガイを恨みがましげに見てくるルークに、ガイは思わず笑ってしまう。そのガイにつられたのか、ルークもまた笑った。こんな些細なことなのにルークは嬉しそうにする。それだけでガイも嬉しいと思う。ルークの喜びが自身の喜びへと変わる。
 だが、こうして笑いあうには雪の中に埋もれたままという今の状況は寒すぎる。ガイは自身の雪を払って立ち上がり、まだ埋もれたままのルークへと再度手を差し出した。こういうところが甘いんだとガイ自身も分かっているのだが、別段やめようとも思わない。それが、甘いのだが。
「ほら、次は引っ張るんじゃないぞ」
「分かってるよ」
 ルークはしっかりとガイの手を掴んでやっと立ち上がる。服についたままの雪をガイが払ってやれば、ルークの手が邪魔をした。何をするんだとルークを見上げれば、少し恥ずかしそうな視線とぶつかる。
「なんだ?」
「……自分で出来る。俺、もう子どもじゃないし」
 十分まだ子どもだろうという言葉は飲み込み、ガイは言われたとおり手を引いた。無意識にルークのこととなると勝手に身体が動いてしまうらしい。それもこれも全て、ルークと過ごした7年間という使用人生活のおかげか。
 色々とルークも成長したんだなと、嬉しい反面どこか寂しい。そんな父親のような感傷を抱いているガイを気にせず、ルークはさっさと雪を払い終えてしまった。そして、指先をじっと見つめた後に息を吐きかける。白い息は指先に触れて消えていった。
「寒いのか?」
「……まあ、ちょっとは」
 その動作にガイが尋ねれば、ルークは軽く頷いた。
「指だけじゃなくて腹も、だろ?」
「っるせーなー」
 からかいを含んだ声で言うと、ルークはじろりとガイを睨む。睨んだとしても、ガイにとっては特に怖くもなんともない。それだけの長い付き合いがあるからだ。
 ルークは何度かまた息を吐きかけた後、ガイの手へと視線を移動させた。
「ガイはいいよなー。だって手袋してんじゃん」
「おまえもしてるだろ、って言いたいところだが、指先出てるもんなぁ……それ」
 ルークの手は、少し赤くなってきている。指が出ているのにも気にせず、雪を掴んだりしていたせいだろう。ガイは少し考えた後、ルークへと提案した。
「じゃあ、俺の奴貸すか?」
「……いらねぇって。それ、ガイのだし。俺が使ったらガイが寒いだろ」
 そのルークの言葉に、ガイは少し感動した。そういった心遣いを自然に表すことが出来るようになったのは、やはり嬉しいものがある。
 けれど、そう答えたルークはやはり寒そうにしている。心配してくれるのは嬉しいが、ルークが寒い思いをし続けているのには賛同できない。早く暖かい室内へと戻ればいいのだが、この場所からは少し距離がある。
「……じゃあこうするか」
 そう言ってガイは右手の手袋だけを外し、素手になった。手袋を外したら寒いだろうに何をし始めたのか。そんないきなりの行動に、ルークは目を丸くさせてガイを見上げた。
「何してんだよ、ガイ」
 そう聞くルークの問いには答えず、ガイはルークの右手を掴むと今外した自身の手袋を嵌めさせた。そしてルークの左手を、ガイは素手の右手で握り締める。触れた手は冷たい。それを暖めるようにガイはルークの手を包みこむ。
「お前と俺で半分ずつな。これならいいだろ? お前の左手は俺が握ってやるからさ。こうすればさっきより暖かい気がしてこないか?」
 ガイの手袋越しではなく、直接体温がルークへと伝わる。実際に触れたほうが、やはり手袋をしていたよりも暖かい。それに今嵌められた右手の手袋のおかげか、次第に暖かく感じられてきた。少し気になるのは、ガイの手袋がぶかぶかなのがムカつくくらいだ。
「まぁ、暖かいような気もする……けど」
「……けど?」
 まだ何か言いたそうなルークを見れば、うっ、と言葉に詰まってしまったようだ。視線はガイを捉えず、うろうろしている。
「……もしかして恥ずかしいのか?」
「そっ、そんなわけないだろ! 別に手を繋いだって何とも思わないからなっ!」
 逆にその言葉こそが、意識しすぎているということを言っているようなものだが、当のルークは気づいていない。
「なら、別にこれで構わないだろ」
 ガイはそのルークの発言を口実に左手を掴んだままだ。墓穴を掘ったことに気づいたルークだが、先ほどの言葉を今更嘘だと言うわけにもいかず、仕方なしにそのまま手を繋がれたままにした。
 そうして、下を向いて真っ赤になっているルークの頭を、ガイは空いている左手でぐしゃぐしゃと撫ぜた。
「お前が寒い思いをしているのは、俺が嫌なんだよ」
「ば……っ! ……う、……ありがとう」
 ぱっと顔を上げて、馬鹿じゃねーの、と言いそうになった言葉を飲み込み、ルークは小さくそう告げた。それはガイの耳にしっかりと届き、柔らかな微笑みへと変わる。
 ルークは、そっぽを向きながらももう手を離そうとはしなかった。本当は、手を繋げるのが少し嬉しい。でも、恥ずかしいのも本当だった。

 ゆっくりと手を繋いでガイとルークはホテルまで歩き出す。ルークはちらりと後ろを振り返り、二つ分の足跡を確かめるように確認する。二人の足跡は暫くしたら、また新たな雪に覆われて、消えていくのだろう。何故だかそれが悲しいことのように思えて、ルークは繋いだ手に少し力をこめた。
 今こうして繋いでいるのは嘘じゃない。足跡のように消えてはいかない。
 ガイは何か気づいたようだが、言葉は発さずにただルークへと微笑んだ。ルークはそのガイにほっとした。それだけでどこか救われる。
 安心したのも束の間、自分から強く手を握ってしまったことに気づいて恥ずかしくなる。ルークはガイの顔から目を逸らし、足元へと視線を落とした。ガイはそのルークに苦笑しながら顔を上げた。視線の先にはホテルが見える。
 ルークの指先は、まだ冷たい。
 部屋に戻ったら冷えた体を温めるために風呂にでも入ろうか。スパでもいいかもしれない。そんなことを考えたガイがまた隣を見れば、ルークは口を引き結んで必死に下を向いたままだ。その顔も耳も赤い。手を繋ぐなんて別にどうってことないはずだと言ってたくせに、照れているのだろう。
 ガイはその様子に小さく笑って、そっと顔を寄せた。ルークが下を向いて気づいていない間にしてしまおう。寒さのためだけじゃないその耳の赤さに、ガイは一つ口付けを落とした。

 驚いたルークと目が合うのも、悪くない。
2006/02/03
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